その日――十月の三日は、人々にとって、最も重要な一日であった。それは、王女ユリア・ネフェリーの誕生日であると同時に、この国が、長い戦乱を経て、よみがえった日でもあったからだ。
初めに異変に気付いたのは、宝物庫の見張りをしていた、バラーという男だった。いつものように、宝物庫内の見まわりをしていた彼は、目を疑った。王宮に古くから伝わる、大きな姿見が、粉々に割れ、まわりの枠が、紛失していたのだ。
「今日はこんなにいいお天気で、本当によかったわ」
王女ユリアは、真紅のバラを一輪、マリーに手渡しながらそう言った。
花びらについていた朝露が、太陽に照らされて、いっそう美しさを増している。
「みんなが楽しみにしていたんですもの。雨に降られでもしたら、本当に、台無しになるところだったわ」
「ええ、本当に――」
広い庭に設けられた小道は、バラの茂みを縫うようにして続いている。茂みの向こうに、衛兵が幾人か走るのが見えた。
「そういえば、今朝、宝物庫が荒らされたらしいわ……大きな鏡が、一つ割れていたんですって。でも、犯人は、すぐに捕まったらしいわ。宝物庫番の男ですって……なにも、こんな日に盗まなくてもいいのに……ねえ、マリー?」
マリーは、渡されたバラを機械的に受け取った。そのバラの輝きとは裏腹に、彼女の瞳は、深く沈んで見えた。
「ねぇ、マリー? 聞いてる? ……もしかして、昨夜のことを気にしているの?」
「いえ……そんなわけでは……」
「心配しなくても、大丈夫。お父様には、わたしから、よーく話しておくから。……それにしても、本当に覚えてないの? 昨日、どうしてあんなところにいたのか……」
ユリアの問いに、マリーはあいまいな返事を返して、うつむいた。
マリーは、早朝、古城の裏口に倒れていたところを、見まわりをしていた衛兵によって、発見された。
それを聞いた、ユリアの指示によって、手厚い看護を受けたマリーは、ほどなくして、目を覚ました。しかし、そのとき、マリーの頭から、昨晩のことは、すっかり消えていたのだ。
立ち入りを禁止されているはずの古城で、一体、何をしていたのかと、口々にたずねる大人たちに対して、彼女は、首をかしげるしかなかった。
昨日の夜は、いつもと変わらず、自室で本を読み、十時過ぎには、床に就いた。どんなに問いただされようと、マリーの頭からは、それしか出てこない。
しだいに強い口調で繰り返される質問に、困惑していると、ユリアが我慢ならないというように、口を開いたのだった。
「いいかげんにしてよ! 今日は、わたしの誕生日なのよ!それなのに! ……このことは、わたしから、お父様に伝えるから! 早く、式典の準備でも、すればどうなの!」
ユリアのおかげで、その場をやり過ごすことはできたものの、マリーは、自分でも答えを見つけられないその問いに、気分が沈んでいた。
「ほら、そろそろ、着替えに戻りましょう? お花は、これだけあれば、もう、充分よ」
ユリアの声に、我に返ると、両手には、大きなバラの花束ができていた。
マリーのまわりのものは、空も、花も葉も、小道にうめられた、きれいな色の石にも、きらきらと輝いている。きれいに微笑むユリアに、ぎこちなく笑みを返しながら、マリーは黙って歩き始めた。